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正気だよblog

心配しなくても全部独り言だよ
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無題
超☆☆疲れた
まず行きに忘れ物をして、それを取りに帰る為に走って戻って、走って再度合流したら、日頃の運動不足と睡眠時間が2時間切ってる事実とのダブルパンチで、気持ち悪くなるわちょっとした貧血状態になって頭から血の気が引いてるのはっきり分かるわという状態になってさ(一時は私だけ参加を見合わせるかという話にもなったぐらいだよ。電車の揺れにすら耐えられない状態だったんだもん)…そんなマジで調子悪い状況の私に向かってXXが暴言吐きまくってくれやがったんだが、ボクの優秀な忘却能力はその発言を綺麗に右から左へスルーしてくれてほとんど記憶に残ってないんだなー、これが。XXの自己中ッぷりと非道ッぷりを詳らかに出来ないのがただ残念です。まあこれ以上存命しててもしょうがねーなという実感を得るには十分な感じではあったので其処には感謝☆かな しかしだね、多分恐らく本気で顔色が悪くなってるだろう相手の体調を心配するでもなく日頃の鬱憤を爆発させてテメーは面倒ばっかりかけさせるよな的なことしか言わないあの女…本当に母親か?人の親か?母性なんて所詮神話だよね。まああの女に今更そんなもん備わったって気持ち悪いだけだが
結局無理を押して結婚式会場へ行ったのであるが(XXはきっとこの日の為に買った服とかアクセサリーとかが無駄になるのが嫌な一心だったんだろうなと思う)、お食事とかしてる時に「来て良かったでしょ?」とXXに言われてさ…いや私、食に関してそんな執着もなければ美味かどうかもよく分からないんでご馳走が食えたところで来て良かったとか思えるはずもないんだが…寧ろこの披露宴のどこらへんが面白いのかさっぱり分からなくて可能な限り早く帰りたいと思っていたもんだ。

肝心な結婚式・披露宴についての感想は…あれだな、どっちも大した羞恥プレイだよな的な感じです。披露宴なんてまさにその極みだったけど、結婚式もなかなかのもんだった。神式の結婚式だったんだけどさ、注目されるのが超苦手な私としては、たとえ将来結婚するようなハプニングがあったとしても結婚式なんて断固としてやらねーなという決意を新たに出来たよ。あんな一挙手一投足にガンガン注視される状況、私の脆弱な精神が耐えられるわけない。披露宴もなかなか愉快なテンションでさ…ああ、このノリついていけねえとしみじみ思ったもんだ。

でもアレだね、新郎新婦を見てつくづく…この人と結婚したいしてもいいって思う情動ってどんなもんなんだろう…と思ったわ。とても不思議な感覚だと思うんですよね。結婚したいっていうのは、この人となら家族になってもいいとかこの人との子どもが欲しいとかそういう思いなんだろうか?内訳は。なんていうか仮面夫婦状態の夫婦を身を以て知ってるからさ、そういう幸せそうな感情が結婚する二人の間にあるってのがいまいちよく理解出来ないんだよね。想い合うって、好き合うって、一体どういうことなんだろうな。

葬式ってのは当人の為じゃなくて遺された側の人達が、当人はもう居ないんだってしみじみ実感する為にあるものだけど、結婚式とそれに伴う披露宴はアレだね、それとは逆なんだね。当人達が自分たちは結婚するんだ(あるいはしたんだ)という実感をまざまざと得る為のものなのかなー、と思ったよ。この人を伴侶にして一生を生きていくっていう実感を得る為のやつということかね。
まあ正直な話、末永くお幸せにが実行される保証なんてないわけだが…私だって万年新婚夫婦なんて都市伝説だと思ってるし、一生仲睦まじい夫婦なんて想像すら出来ないんだけど、それでもやっぱり幸せそうな人達の幸せは可能な限り長く続けばいいねとか思う気持ちも私は持ち合わせてたりするんですよ、実はね。幸せであるに越したことはないもん。ただそれが永続不可能なことだと知っているから、誰も不幸にならない為に人類死滅すればいいよねと思ってるだけで。

祝われる側の新郎新婦も訪問客の末永いご多幸をお祈りしたりしてて…なんというか感慨深い気持ちになったわ。幸せにと祈ることは、大多数の人間にとっては存命することを祈ることと同義なんだろうなと思うんだ。だからなんか、私はそう遠くない未来にヴァニッシュする予定だけど、それは君らの幸福祈念が叶わなかったんじゃなくて、寧ろその通りになったんだよと弁解したい気持ちに駆られたりもした。詮無いことですけどー。幸福の形の様々在る事よな。

帰りに動画も撮れるデジカメ構えた人が、お祝いの言葉言ってってくださーいって訪問者一人一人にレンズを向けるとか恐怖極まりないことやってたんだけど、私はとてもさり気なくスルーしてみせた。いや全然さり気なくはなかったかも知れないけど、XXと姉がレンズ向けられてる隙に横をすり抜けてやりましたともさ…だって後々まで記録に残るとか冗談じゃねえよ。折角家の私の写真を全処分したってのに、今日は親戚に写真撮られちゃうし…ああ屈辱。遺影になるものとか私の姿を偲べるものなんか何一つ遺す予定無かったのに。残念だわ。ああ私が記録に残り続けるなんて気持ち悪いことこの上ない。全部消えればいいのにな、私の身体情報を表す全て。遺影なんて超絶くだらないものの一つだと思うんだ
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無題
XXと姉がXYの居ないのを良いことに散々悪し様に言っていた…ああ、女はいくつになっても女なんだなとしたくもねえ実感をするに至ったよ。まったく、気持ち悪いし理解出来ないなあ…表面上は仲良くしておきつつ当人が居ない場では陰口を叩くとかね。さっぱり理解出来ない。
いや私だって陰口を言うことが皆無だとは言わないけどさ、それでも陰口を言う対象とは表面上ですら仲良さげにはしないぜ…どこからどう見てもお前あいつのこと好きじゃないよなって分かる態度しか取らないよ?まあそれが褒められたことってわけでもないけど
でも本当に、表面上は親しげにしているのに居なくなった途端悪口開始とか怖いと思わないか。そんなに悪し様に言うくらいなら初めから交流なんか持たなきゃいいのに、と学生の時から思っていたわ。私は親しい誰かの陰口叩くくらいなら本人に直接言うね、お前のこんな所駄目だと思うって。直接言うのが出来ないなら普通に交友関係断ち切るわ。私にとっての「親しい」って言うのは駄目だしも出来る間柄であるので。
陰口叩きつつも一緒に居る心理って本当に心底理解出来ないんだよ、なんなんだろうなアレは。
そして天の邪鬼な私は悪し様に言われれば言われるほど、陰口の対象に対して判官贔屓的心理を抱くに至るので、寧ろ援護したくなるんだよね。それがたとえXYであろうとも。
つーか普通に私の嫌悪度は普段からXX>XYであるのでアレでアレなんだけどね。XXに対しては特別な嫌悪感を抱いているけれども、XYに対しては結構人類全てに抱く普遍的な嫌悪だったり、よくある近親者への嫌悪だったりとかする程度だし。XXとは他人同士だったとしてもヘイトの域に入ったかもしれないけど、XYには他人同士だったら大して関心は抱かないだろうと思う。でも、アレだ、既にXYとは家族という近しい間柄で彼の人となりをそれなりに詳しく知っているので、他者を生身の他者として認識すればするほど嫌いになっていく私の性質故に今更好意を抱くなんて無理なんだけどね。赤の他人なら目に入れずに済む部分とかあるじゃない…
ま、普段からXYに対する嫌悪よりXXに対する嫌悪の方が強いんで、XXがXYのこと悪し様に言ってるのを聞くとXXのカブだだ下がりしていくのは当然のことなんですが。そしてXYに対するXXと比較した時の相対的な嫌悪度が薄らいだとしても、私の絶対的な他者への嫌悪感とか近親者への嫌悪感とかが揺るがないからもうどうにもならないんだけど。
てゆーか、アレだよ。私はXXよりもXYに気質的にも似ていることを自覚しているので、XYのことを悪し様に言われると私に対して喧嘩売られてるような気分にもなってくるから困るんですよね。知ってるくせに、理解してるくせに、XXだって、私がXYに似た気質だって事をさ。いやあ本当虫酸が走るよね、死ねばいいのにどいつもこいつも。
無題
自殺しないで神様が云々という引き留める発言とかちらほら目にしたりするけど、生憎私の神様ズは人格神じゃないので意志とか無いです。私が生きようが死のうが何しようがあるがままにあるだけです。そう私は自然崇拝者であり精霊崇拝者でありもっというとアニマティズムが好きなんです
仏教と神道どちらを取るかと言われたら後者だけれども、別に神道の信者というわけでもない。私は森羅万象を人格化したりもせずそのまままるのまま敬意を払いたいのだ。”神”なんて所詮概念なんだよ。と私は思っている。
信仰が違うとね。説得って難しいよね。世界を見ててもそう思うけど、冒頭のような些細なことでも実感するんだから、戦争にまで発展するのもさもありなんという感じですかね。みんな一緒がいい一緒になるべきだって考える人が多すぎるんだよ。もっと個人主義になればいいのにね。まあみんながみんな個人主義になったらそれはそれで世界というか社会が成り立たなくなるのかもしれないけど。同質であることを望むのはなんでなんだろうな。人類補完計画とか実は望んでたりとかするのか。まさかなー。
無題
賃貸物件で自殺したら遺族に大家が多額の損害賠償とかいう記事を自殺関連のスレでよく見るが…やっぱり所詮は自分の死んだ後なんてどうでもいいんだと思うんだ。他者の苦しみを回避する為に自身の苦しみを我慢できるか、というと私には出来そうもないわ。金銭問題とか考えるだけでストレスで過呼吸なれそうな勢いだけど、それは私が生きていることが前提でね。私が死んだらどうしたってあいつらの手は届かないもの。どんなに私自身の行為で損害を被ろうとも私は奴らに責められない。死という一般的価値観においては最強のカードを振りかざすことによってね。それに実際死んでるんだから生活が脅かされることもなくなるし。そもそも遺族の状態を認識すべき意識がないだろうし。
まあでもね、そういう私でも残された家族は恙無く暮らしていけるといいなとは思ってるんですよ。だって私、奴らにいつまでも記憶されていたくないんだ。どんな感情に起因する記憶だったとしても、さっさと忘れ去られたいので私の死による影響なんて無いに越したことはないのです。
しかし私が死んでも結構隠蔽出来るんじゃないかと思う。だって私社会の何処にも繋がってないし。まあ私の死を隠すということは奨学金の返済をし続けなければいけないということなのでしないだろうけど。知らせるべき所属とか知人が存在してないんだ。素敵でしょう。ああでも姪家族が居るか、でもやっぱりそれくらいだ。まさに私一人死んでも世界は何一つ変わらないという事実。素晴らしいね、それの何が悲しいのか私にはよく分からない。
無題
この土日は姪が来ていて、なんだか手紙を貰ったのだ。幼児特有の暗号か?と思える難読文字をなんとか読み解いた結果、「なんでいつもだまってるの?」みたいなことが書かれているようだと推測するに至った。
残念だが、私があまり喋らないことについて触れてくる奴を、私はあまり好ましいと思わない。寧ろうるせえ黙れてめえには関係ねーってくらいの悪感情を抱くくらいなんでね…彼女が誰も彼もが喋ることを好きだったり得意としているわけではないんだよ、ということを知ることが出来たら良いね(自分で教える気は毛頭無い)(喋るの面倒臭いし)
しかし姪も来年が小学校入学で…私の人見知りが発動するのは小学校中〜高学年くらいなのでなんかもうどうしたもんかなと思う。まあそんな大きくなったらわざわざ祖母の家とか来たがらなくもなるだろうしそもそも私が生きていないので気にする必要も無いことなんですがね。姪の成長を見守れないのが残念ですとか露程も思わないしあーあ存在しなかったことになりたいなあ
私という存在の罪ごと消えてなくなりたい。罪とは他者との関わりのこと。すべての他者との関係を根底から根こそぎ消し去りたい。要らないんだよこんなもの。全部、全部ね
無題
罪とは人間が人間社会を秩序立てていくために編み出した概念でしかなく、神によって定められた絶対のどうしようもない確固たる罪なんてものはないと思っている。そもそも人格神は信仰してないからね。
それに私は死ぬことに対して禁忌感を持っていない。寧ろ安寧とか休息とかプラスのイメージを持っているので、死をもたらすことに対しても抵抗感とか罪悪感とか感じないんだよね。それどころか生きている以上は離れられない四苦八苦から解放されるんだから万々歳じゃね?的ノリがあるので、多分人を殺しても私はあまり心を痛めないと思う。その行為をした上でのなんやかやにうんざりする気持ちはあっても。殺すことは寧ろ慈悲の範疇だろ?みたいなー
だから現代社会に生きる現代人主人公が戦乱のある世界にトリップして戦争に巻き込まれて人を殺さざるを得ないという状況に陥って苦悩する心境はよく分からないネ!(いやあ実際戦争に行っても物怖じせず殺せますとか言いたいんじゃなくて。私はきっと戦場とか行ったら殺す云々よりもその緊迫感とか強いられる緊張とかに耐えられなくて気が狂うよ。プレッシャーに弱いし。)
特に生きる為にモンスターとかは殺せるのに、人間はダメっていうのはよく分からないね。戦争においては人を殺すことだって生きる為だろうがよ、とか思ってしまいます。モンスターと人の違いって何ですか?どちらも同じ命ですよ。差別よくない。お前は既に命を犠牲にしてその上に立っているんだよってとても優しい微笑みを浮かべながら教えてあげたくなります。殺した人間の家族は、友人は何を思うんだろうどうするんだろう、じゃねえよ。家族や友人が居るのは人間だけじゃねーだろっつー。
更に殺したことを損なったことを自分の命によって贖おうとか考え始めると相当ダメだと思う。てめーの命にそれだけの価値があるとでも。その罪とやらを本当に贖いたいとか思うんなら生きて苦しみ続けるべきだと思いまーす。罪悪感に押し潰されそうになったり悪夢にうなされたり幻覚を見たり幻聴を聞いたりとかしつつそれでも意識の消失を回避し続けて可能な限り苦しみ続けることですよ。殺してきた命の為に死ぬのはそれこそ最後の最後にすべきですね。そんな簡単に生きる苦しみほっぽり出して楽になることが許されるとでも思うのか?なんてね、思ってしまうじゃないですか…特に殺したことによって罪悪感に苛まれてる様とかあるとね。
死という重罪によって赦免を請う、それをしなければいけない、そんな自分に酔ってはいませんか!?とか突っ込みを入れたくなる。自分が悪い、自分は罰されるべき存在である、と自分自身を自分自身で責め苛むのって実は結構お手軽で安楽な行為なんですよみたいな。だって自分が責めるのをやめれば責めはやむものね。それでいて自分で自分を責めていれば周りは手加減してくれたりとかするもんね。
まあなんて言うかさ、ありもしねえ罪背負った気になってワタシは罪人です面されると激しくイラッとするよねっていう。まあ”ありもしない罪”とか思うのは私の思想によるものなんだろうと思うけど、そういう原罪とか神の定めたもうた罪的なものを信じてない立場からしてみると人を殺したことを悩み苦しむ様ってのはなかなか不可解です。
それが社会の規律を乱してしまったことや己の社会的立場をどうにかしてしまったことに対して苦悩しているというなら別ですけど、『”罪(ここまで来て既に分かってると思うけど念の為に捕捉しておくと刑法とかに定められている罪のことではない)”を犯した』って苦悩してるのは、なんつーかね…洗脳されてるよな、と思わずにはいられないかな。
まあ神を信仰する人なら”罪”も当然存在するんだろうから、悩むんだろうけどさ。一般的に無宗教とか言われててそれを自称したりもする現代日本人とう設定の主人公とかがそれやってると変な気持ちにもなる。まあ良心の呵責が少しも描かれないというのもそれはそれで物語としてはつまらないんだけどね。
しかしなんで人は人を殺すことに恐れを感じたり、人を殺すことに慣れを感じることにも恐れを持ったりとかするんだろうね。不思議だなー。だってその上で同然のように他の生き物は殺しているんでしょう。何が違うのかな、人型と人型でないものを殺すことは。
無題
一体何がそんなに楽しいのか?を突き詰めて考えてはいけない。我に返ってはいけない。
正体はね、知らない方が良いんだよ。何故その情動を得るのか、を知ってしまうと途端になにもかもつまらなくなる。
ノリには最後まで乗っておかなければならない。

私は死ぬことが悲しいことだとは思っていないので、訃報を聞いても大して心は動かない。死んだのであっても殺されたのであっても殺したのであっても。私にとって死とは安寧を得ることであるので、寧ろ祝福する気持ちにすらなるんだよ。
ただまあ、世の中死んだ個体に関わっていた人間とかも居るわけで、そういう人達は悲しかったりするんだろうなあとは推測出来るから、死んじゃったけどノープロブレムじゃね?とは言う気は無い。死んだ個体単体で見るなら無問題だとは思うけどね。
葬式とは死者を弔う為じゃなくて遺された者を慰めるためにあるんだよ。

最近無性にXXを刺したくなるんだけどね。だって邪魔だし目障りだし気に障るし…要らないものを処分したいと思うのって自然な感情じゃない?
でもきっと一撃必殺しないと鬱陶しそうだし、後のことを考えるととてつもなく面倒臭いことになるだろうと簡単に予測が付くので行動には移しませんけど。
殺意なんて無いよ。近くを飛び回る煩わしい虫を払うのと同じような感覚だよ。それほど特別な感情じゃない。でもその行動の結果がどういうものになるのかは理解しているから、革命的な激しい行動を滅多にとらない私は今日も元気に無辜の民です。何の罪もない市民(笑)犯罪には手を染めてないってだけの事だが。
無題
今年も24時間テレビの季節がやってきましたね…いや年1回なのかは知らんけど。
愛は地球を救うってね…まあ私はそれも一理あると思うし真理の一つだとも思うけど、人間に地球を救えるだけの愛をもてるかって言うとそれはまた別の話デスヨネーっていう。無理だと思うよ?一部の人類は既に持ち合わせているかも知れないけど、すべての人類がそれを備えるのは多分不可能。
それでね、地球を救うと銘打っておきながらテレビ欄の内容の所には人間のことぐらいしか書いてないよね。オカワイソウな病気とか持った人間と、今を輝くスーパースターが友達ごっこするみたいなね。
ていうかなんなの?難病を患ってる人々は救われるべきカワイソーな存在だとでも?愛で救われるべき存在だとでも?ばかにしてんの?まあアレだよね、健康であることに越したことはないしオトモダチも居るに越したことはないもんね。
でもなんか憐れみ視線というか上から目線というかそういうの感じざるを得ない。難病に苦しめられる人と友情だか絆だかを育むのを地球を救うほどの愛だと抜かすとか笑わせんな。そんなのは当然あるべきことで特別なされるべき行為ではない筈だろう。難病の人間と育む絆、超尊い!とかね、バカじゃネーの。そういうなんかオカワイソウで大変そうなオプションついてるような対象とじゃないとステキな絆育めないとか歪にも程があるっつーの。
まあ別に今回スポットライト浴びた人々が幸せだっつーんなら良いんですけど。でも知らしめられるのは単なる氷山の一角でしかないし、ステキな絆で必ずしもすべての人が救われるとは限らないってことをちゃんと認識しておかねばならんと思うんですよね。友情なんてクソ喰らえだよ私は一人で朽ちていきたいとかいう人間も居るんだし。そういう人も心の底では人を求めているのよ!なんてね、そんなこと言い切れる方がオカシイと知れ。
しかしそもそも愛は地球を救うというテーマでなんで一人の人間に超長距離走らせるんだろうな。あの酷使ッぷり、全然愛じゃねーだろ。頑張る姿が尊いっての?努力は素晴らしいんです、みたいな?やってみなきゃ無理かどうかなんて分からないんだッ!ていう、そういう話?ご立派な話デスネー、まるで少年漫画みたい!いやー、自愛って言葉を知らねーのかしら日本人って。日本語の筈なのにね。自身に過酷な試練を課すことが美徳☆みたいなね…はい、お察しの通り私は自堕落人間です。
無題
少数派を即ち悪と決めつけるのは早計だとは思うけど、なんかもう悪でも良いよ。面倒臭いし。
怠惰で人間嫌いでヒキニート。悪で良いよもう。
つーかね、悪だと断じるってことは死んでも良いって言ってるのと同じだって事分からないかな。
悪なら良いよね、消えても。悪なら消えるべきだよね、是非とも。
この存在は罪深い存在なので贖罪の為にもこの命を以てして露と消えます。とかね。別にそんなこと全然思ってないけど。
私が私を殺すのは贖罪の為でもなければ謝罪の為でもないさ。目障りだからね。邪魔だし。不愉快だろ。気持ち悪いし。要らないから。気に障るんだもん。
贖罪どころか責任放棄であると理解しているよ。不誠実だと理解した上での行動だ。
苦しい境遇でも這い上がろうと努力するようなエライ人間ではなく苦しみにさっさと屈する自堕落などうしようもない人間なので生きてる価値なんて無いんでしょう?君の言っていることはそういうことだ。
ということなので私は君のしたいことがいまいち良く理解出来ないな。何がしたいんだろうね、止めたいの?促したいの?まあ別にどうでも良いんだけど
無題
音が気になってしまって困る。扇風機の稼働音にさえ気を散らされる。
最近は寝る時の耳栓は必須だ。閾値が上がって堂々と聞こえないふりが出来るし
耳栓は素敵な道具ですね

呼吸するのも面倒臭い
体の不具合に煩わされるのも面倒臭い
暑いのも面倒臭い
咀嚼嚥下するのも面倒臭い
眠るのも面倒臭い
排泄するのも面倒臭い
要するに生きていることが面倒臭い
こうやって文章を綴るのでやっとだ
何もしたくないなあ、思考停止さえ許される存在になりたい
否それは最早存在ではないか
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